けん玉ブーム、その先に

遅ればせながら、新年おめでとうございます。
2014年はGLOKENにとって忘れることのできない年になりました。けん玉シーンがより活発になるよう、力を尽くして参りたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。

様々なジャンルを背景にもった人々がけん玉をすることで、遊び方、考え方、けん玉という道具そのもの、に多様性が生まれたり広まったのが、この数年に日本で起こったことだと捉えていますが、とりわけ2014年はそれが爆発した年だったように思います。今年、そして今後も大切にしたいことを「遊び」というキーワードを軸に書いてみました。

「遊び」としてのけん玉

様々なスポーツ、音楽、ファッション、お笑い、アート、メディアといった、けん玉にとって新しい風がこの世界に吹き込むことで広がった多様性が、より多くの人をひきつけ、けん玉に関わる人々を互いに刺激するきっかけとなり、競争が生まれ、次を考えるきっかけになってこのシーンが前進していると感じています。

この多様性と、いつの時代にも存在するさらに次の面白いことを考える「余地」があることがとても大切なものであり、これは遊びの本質でもあると言えると考えています。

私たちにとって素晴らしき遊びである「けん玉」にとっても当然それは同じことだと思います。
技、イベントのあり方、自分を表現するスタイル、楽しみ方、どれをとってもまだまだ考えることができ、無限の広がりがこの手のひらの上にあります。

けん玉ブーム、その先に01

遊びと人間

写真:2013年5月 サクラメント(USA)のけん玉イベントで輪になってふりけんを順番に決めるゲームの様子

遊びの研究団体ではありませんが、フランスの思想家ロジェ・カイヨワさんが書いた「遊びと人間」という本にもこの余地・余裕が大事だと述べている箇所があります。

—–抜粋ここから—–

遊びは自由で任意の活動であり、喜びと楽しみの源である、という定義に問題はない。
(中略)
遊びは、ルールの範囲内で自由な応手を発見し、直ちに発明する必要によって成り立つ。遊ぶ人のこうした自由、遊ぶ人の活動に許されるこの余裕部分こそ、遊びの本質をなすものであり、また、遊びが与える喜びの一部を説明するものである。さらに、芸術家の遊びとか、歯車の遊びとかいった表現に見られる遊びという言葉の特異な意味深い用法を説明するのも、やはり、この余裕部分である。

R・カイヨワ「遊びと人間」

—–抜粋 ここまで—–

けん玉ブーム、その先に02

写真:2014年7月 けん玉ワールドカップ廿日市の決勝の舞台で技を決めようとしているルーマニアのプレイヤー

また、「競争」はけん玉にとっても欠かせない遊びの要素です。

「こうなると本当にスポーツですね」と言われることも多々ありますが、スポーツも遊びも、本来同じものであると思っています。けん玉ワールドカップにおいて、世界最高の実力を競いあうためのルールを定める時には、遊びにとって大事な「考える余地」を残し、多様性を担保できるよう最大限配慮したつもりです。

それは、
世界のプレイヤーと共に定めた100の技の中で、組み合わせは自由に考えることができる
使用するけん玉は一定のサイズ以内に収まれば、メーカーやサイズ、形状は自由に選べる
といった部分であり、
これに、失敗をしても時間内に取り返すチャンスがある、というこだわりをルールの骨格にしました。

これがベストなのかはわかりません。
もちろん国内外で行われる大会やイベントにはそれぞれのルールがあり、運営者のこだわりがありますが、我々が表現したいけん玉大会の基本姿勢は、上記の遊びの考え方に基づいていると言えます。

多様性、考える余地、ルールと自由度のバランス、こうしたことを引き続き大事にしながら第二回となるけん玉ワールドカップ廿日市2015の大会競技についても企画・運営したいと考えています。

※けん玉ワールドカップ廿日市2014の結果はこちら
※けん玉ワールドカップ廿日市2015の日程についてはこちら

長くなりますが、もう少しお付き合いください・・・

けん玉ブーム、その先に03

けん玉の多様性

ところで、「多様性が生まれた」と前半には書きましたが、正確には元々あるものであり、再生であったり再注目という表現が良いかと思います。

けん玉様の遊び道具は古今東西様々なものがあり(いちばん有名なのはフランスのビルボケでしょうか)、それが長く存在している(た)ということは、遊びとしての本質が担保されていたからに違いありません。

左は1907年イギリスの新聞記事で、歴史資料を探している際に出会ったものですが、見つけたときには、ある種の衝撃を受けました。
こんなにも自由な発想でけん玉(ビルボケ)が存在し、進化していたのかと・・・!

イギリスは昔からカップ・アンド・ボール型のものが有名ですが、フランスで爆発的に流行したビルボケ型のものも広まっていたのでしょうか。
きっと遊び方、競い方も色々とあったのかなと想像するだけでも面白いものです。

日本でもちょうど、けん玉の元祖とも言える日月ボール(にちげつぼーる、じつげつぼーる)が誕生する頃にあたります。海外では海外の、日本では日本の、けん玉の進化が起こり、その形状、そして遊び方の多様性が広まったのだと思われます。日本では民芸品としてのけん玉、そして競技用けん玉と呼ばれる技のやりやすさを追求したけん玉もその後多く誕生しています。

以下、数枚の写真だけでも、そのサイズや形状の微妙な違いが、けん玉愛好者、設計者、製造者の細部にわたってのこだわりによって表現されていることがわかります。こういった細部の違いにこそけん玉の奥深さがあり、工夫すること、そして技の進化を支えてきました。今後もこうした自由度や考える余地が担保される環境を整えていくことが、非常に大切だと考えています。

過去を振り返って考えてみれば、昨今のけん玉界で起きていることは全く新しいものではなく、歴史がちょっと形を変えて再び巡ってきたと言えるのかもしれません。けん玉にまつわる先人の考え方や歴史については学ぶ点が非常に多くあり、世界のけん玉、日本のけん玉の歴史についてまだまだ調査したいことが山のようにありますが、これまでに出会った文献や記録については一部をサイト内にて紹介しています(以下のリンク参照)。

※けん玉の歴史はこちら
※競技用けん玉の歴史はこちら

10

 

すぐにできたら、つまんない

写真:2013年11月 無双JAM参加者の皆さんと

「けん玉ブーム」「逆輸入けん玉」「エクストリームけん玉」という単語がメディアに取り上げられるようになって久しいですが、昨年末、NHK「NEWS WEB」に出演し【進化する”けん玉” 人気の背景】をテーマに話す機会がありました。

生放送の短い時間の中で話せることは限られ消化不良ではありましたが、最も印象に残っているのは、途中で画面下に流れた視聴者ツイートです。

「すぐにできたら、つまんないからね」

けん玉人気が訪れたきっかけには、海外プレイヤーらの存在、SNSの発達などが挙げられると思いますが 、もっと本質的な理由は、けん玉がそもそも面白いからであり、その遊びの面白さは「すぐにできたらつまんない」ことに由来していると思います。

それが世界の誰にでも共通する感情で、考えたり工夫したりするというハードルが喜びの根っことなり、手軽さも手伝ってけん玉は日本を含む世界に受け入れられたのではないでしょうか。

話は少しそれますが・・・けん玉ブーム、と言われるその中で、ちょっと気になることもあります。

「●●が身につくからけん玉ってイイらしいよ」 「●●に役に立つから、けん玉やってみたら」

的な言いまわしが、ちょっとずつ増えているように感じることがあります(大人の発言の中に)。

一定の苦労を経て、チャレンジしている技が決まる。
その快感、面白さがたまらなく好きでけん玉を続ける。
その結果、身につくことも、効果効用もあるのは間違いないと思いますが、順番が違うとそれは遊びではなくなってしまうのではないかと、これを書いている私(窪田)は個人的には思っています。

考え方の多様性が、とかいいながら勝手なことを・・・となるといけませんので、前出「遊びと人間」の中でもう数箇所、好きな部分を紹介させて頂くにとどめておきますが、けん玉という遊びが今後、100年、1000年とずっと愛され続けるために、忘れたくない考え方だと思っています。

—-抜粋ここから—–

参加するように強制されれば、遊びは、遊びであることをやめてしまう。それは、そこから急いで解放されたい拘束、苦役になってしまう。義務として課され、あるいは単に勧められただけでも遊びは、その根本的特徴の一つを失ってしまう。すなわち、遊ぶ人が、いつでも、遊びだけではなく引退、沈黙、瞑想、閑居、創造的活動の方を選ぶ完全な自由を有しながら、しかも、自発的に、自分の意志で、そして自分の快楽のために、遊びに熱中するという事実である。

(中略)

遊びが存在するのは、遊ぶ人がたとえ極度の集中をする遊び、非常に疲れる遊びであろうと、そこで気晴らしをするため、気苦労から逃れるため、つまり現実生活から逃避するために遊ぶことを欲し、そして遊ぶ時だけである。さらに、特に、遊ぶ人は、好きな時に、「もうやめた」と言って立ち去る自由を持たなければならない。

R・カイヨワ「遊びと人間」

—–抜粋ここまで—–

けん玉ブーム、その先に04

けん玉ブーム、その先に

写真上:2014年11月 アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスで開催されたけん玉大会の様子
写真中:2014年7月 サンパウロ(ブラジル)の日本祭りにてパフォーマンスをするず~まだんけ(コダマン)
写真下:2014年3月 ハワイ・オアフ島でのYo!Damaイベントでの一コマ

けん玉の面白さ、奥深さ、カッコよさ、競争(バトル)などを表現したイベント、動画、人の姿は、それを見た人が、けん玉をやってみたい、あんな風になってみたい、という内発的な動機や憧れを持つきっかけとなっています。我々も、様々な角度からそれを提供し続けるために力を尽くしたいと思っています。

日本を含めて、世界中でそんな取り組みをしている人々がたくさんいますし、これからけん玉の魅力にハマる人々は日本でも世界でもまだまだ増えてくるでしょう。

しかし近い将来、「けん玉ブーム」「エクストリームけん玉」と呼ばれてメディアに取り上げられる機会は激減すると思います。
GLOKENも日々、各メディアからの問合せに対して情報提供、映像提供をし、けん玉の今を伝えるお手伝いをしていますが、これから先、けん玉の面白さそのものや、イベント含めた楽しみ方の多様性、ものづくり、そしてけん玉のある人生等にスポットを当てて紹介されることが増えると良いなと思っています。
これから何を積み重ねて、何を未来に残していくのか、それが問われる年になると思います。
けん玉をする人が楽しさを感じ、人と繋がり、人生を豊かに過ごすために必要なコミュミティやネットワークづくりのために、今できることを精一杯していきたいと思います。

「遊び」をキーワードに、考えていること、これからも大切にしたいこと等についてつらつらと書きましたが、いつか将来、そんな気持ちを忘れてしまうこともあるかもしれません。

そんな時、この文章が大切なことを思い出させてくれますように

MKO(ミネソタけん玉オープン)2014_01けん玉ブーム、その先に05けん玉ブーム、その先に06

おすすめコンテンツ

おすすめのけん玉