イスラエルに行ってきました!
窪田です。今回のけん玉出張では人生初となるイスラエルへ行ってきましたので、報告させて頂きます。
イスラエル?!と驚く方も多いのですが、実はイスラエル、とりわけテルアビブは若い世代の文化発信の地となっており、最近はけん玉人気がとても高まっている地域なのです。そんな話を半年前くらいにアメリカの友人らから聞いて、数名でツアーを企画していたのですが、色々あって一人で乗り込むことになりました・・・
会ったことはありませんでしたが、AviramさんというKendamaISR(けん玉イスラエル)の中心人物かつけん玉ショップのオーナーと連絡を重ね、若干の心細さはあったものの10月12日の深夜に現地に到着。約1週間滞在してきました。
13日(Day1):深夜到着便だったので朝はゆったりとして、朝食を。ちなみに期間中はAviramさんの家にホームステイさせてもらいました。テルアビブの気温はまだ連日30度を超えるほどで、ほとんど下調べをしていかなかったので正直驚きました。
ビーチへいって浜辺で数名でけん玉してからけん玉ショップへ。 学校終わりの子どもらが会いに集まってくれ、ひたすらKENゲームを。けん玉ショップがオープンしてまだ4ヶ月。そもそもAviramさんがけん玉を始めてまだ2年なのですが、レベルがめちゃめちゃ高く、うまい子がたくさん!汗だくになりながらけん玉をしていました。
夕方にはイスラエルの伝統的な食事「ホムス」を食べ、見かけ以上にヘビーなパンチ力と時差ボケから一気に眠気に襲われました・・・。
14日(Day2):市内を少し散策したり、ショップで翌日のイベントの告知ビデオを撮影したり。
イスラエルには兵役制度があるのですが、Aviramさんは期間中に足を骨折。その治療中に現在共にけん玉ISRの活動をしているDavidさんにけん玉を紹介されて始めたのが、きっかけだったそうです。兵役を終えたら、世界旅行に出かけるいわゆるギャップイヤーがイスラエルでは一般的だそうですが、Aviramさんはギャップイヤーを取らずにけん玉をイスラエルに広める活動を生活の中心にしたそうです。けん玉の練習会を開き、けん玉のショップを作り、けん玉イベントを開催する。ひたすらにそれを続けて来た2年間は、彼自身、そして彼の周りに集っている子どもたちの腕や様子から想像できます。
一日中けん玉に関する問い合わせの電話がかかってきます。技のやり方から、次のイベント、どこでけん玉を買えるのか・・・。1週間を共に過ごしましたが、いつも電話に出てけん玉に関する質問に答えていました。
けん玉がまったく無かった土地で、けん玉がどのように広まっていっているのかということについて非常に興味がありましたが、今回それを垣間見ることができました。もちろんインターネット等は欠かせない情報ソースであり、DavidさんやAviramさんも世界中のプレーヤーの動画等をみて研究していますが、急速に広がるけん玉の輪の中心には、中心となるべき人がいました。そんな彼らが精力的に活動を続ける様子には、大きな刺激を受けました。
ちなみに、今年のけん玉ワールドカップのライブ映像配信は、ショップに子供たちが何人も集まって観戦していたそうです。来年はきっとイスラエルからも何名かが参加してくれると思います。
15日(Day3):連日、新聞紙面にはテロの記事が載っており、日本でもイスラエルのそうしたニュースがいくらか届いていたようです。たくさんの人から心配の声も届きました。テロの多く発生しているエルサレム近辺等には今回は行けないという話は到着前からありましたが、この日の早朝にはテルアビブ内でもテロアタックがあり、無用な外出は避けて自宅にいるように勧めるニュースが流れていました。
この日がメインのイベントDAYなのですが、そうした事情から参加者は元々予想していた3分の1程度となり、かつガードマンに入口に立ってもらってのイベントとなりました。それでも100名以上の子供たちが両親に連れられて来てくれ、到着した時には サインや写真を撮るために揉みくちゃになりました。けん玉が世界に広がり続けていることはもちろん理解していますが、こうして知らない国に来て、「タモツ、タモツ」と囲まれるのはいつまで経っても不思議な感覚が抜けません。
写真を撮ってサインをもらったらすぐに家に帰る家族が多くあり、大会そのものは少し寂しい感じもしましたが、こうして多くの子供たちとけん玉を通じて出会えたことは、かけがえの無い時間となりました。大会に最後まで参加してくれた子供たちも、レベルの高いバトルを繰り広げていました。
イベント会場はスケートパークに併設された体育館で、スケートパークのパンフレットにもけん玉の写真が見開きにでかでかと載っており、これから益々認知されて人気が高まっていくことが想像できます。
ちなみにメインイベントのこの日は木曜日。イスラエルでは金曜・土曜が週末という扱いで、日曜日は平日。木曜夕方は日本でいう金曜日の夕方となり、イベントをするには最適な日だそうです。
16日(Day4):朝から車で1時間半ほど離れた、まだけん玉が全然広まっていないAshkelonという街へ。小学校のアクティビティの一環で、けん玉の他にもカポエラや音楽楽器の体験ブースが出て、子供たちが各々に興味ある所へいきます。200人くらいの生徒らが入れ替わり立ちかわりけん玉に触れ、デモンストレーションでも興味深そうに見てくれていました。
小学校の壁がミサイルにも耐えられる厚みがあるとか、アラームが付いているとか、そうした驚きもありましたが、ホームステイしているAviramさんの自宅から5分ほどのバスターミナルではバス32台が燃やされるテロがあったことにも驚きました。状況の不安定さは日に日に増すようでした。何もできませんが、けん玉が人の心に安らぎと楽しみを与える遊び道具になるといいなと思います。
金曜日は家族で揃って食事をする日だそうです。普段はバラバラに摂ることが多いのですが、夕食をたくさん準備し色々と話しながら時間をかけて食べるという習慣だそうです。Aviramさんファミリーと夕食を共にし、文字通り食べきれないほどの夕食をいただきました。
17日(Day5):この日は土曜日。イスラエルでは多くの人々が完全休養を取る日で、町のほとんどのお店が閉まっています。そして日曜日から新しい日が始まるというサイクルになっています。そんな中、けん玉ショップだけは毎週OPENし、多くの子供たちが遊びに来ています。
この日は「Tamotsu in Israel」の最終イベント。お店には、隣の広場に溢れ出た子どもらを含めて100人くらいが遊びに来てくれました。 前回のイベントに来れなかった子供たちも多く来てくれたようでした。 ミニコンテストをし、けん玉をし、写真やビデオを撮り。
夕方、イベントがひと段落し、軽食をとっていると、「警官が2名立っていたのを知っているか?」と聞かれ、 まったく気づいていなかったので驚きましたが、イベント中、ずっとガードしてくれていたそうです。
AviramさんやDavidさんらホストには、常にイベントを安全に終えるという計り知れないプレッシャーが掛かっていることを感じました。不安定な環境の中、今回のイベントをホストしてくれ、常に気にかけてくれた関係者には本当に頭が下がります。テロ関係を始め、生活や文化の「違い」についてかけば書ききれませんが、ありがたいことに僕らの中には「けん玉」が好きで好きでやってるという最大の共通点があります。けん玉で世界をつなぐ、を合言葉にGLOKENの活動をしていますが、今回もけん玉の持つ人をひきつける力や繋げる力を感じた日々となりました。
18日(Day6):なにもしなくても浮かぶという死海へ。高校の休憩時間に20分けん玉を紹介してくれという要請を受けて、道すがらの学校へ。1年前には高校生世代からは「子どもの遊び」として見向きもされなかったのに今はみんなやらせて欲しいと言ってくれる。Aviramさんがそんなことを話してくれたのも印象的でした。イスラエルではけん玉は子ども達世代に特に人気で、まだまだ10代後半とか20代のプレーヤーは少ないのですが、こうした活動が続く限り、幅広い世代に広がっていくと思いました。この国で広まり続けるけん玉。今後も少しでも協力できればいいなと思います。
死海では、本当に浮かびました(笑)。温度はぬるく、水はオイルのような感触。浮かびながらけん玉をしていると水しぶきが目に入り、たったの1滴でも泣くレベルの激痛! 砂浜で日が暮れるまでけん玉をして帰りました。
19日(Day7):この日は次の目的地、モスクワへの移動日。長くなりましたので、モスクワのことはまた次回ご紹介したいと思います。 (窪田)