小山 正博(長野県在住。小谷けん玉倶楽部代表)
父である私は、その昔、少しの間だけけん玉をかじっていました。20年ほど前に職場でけん玉ブームが起き、級位認定を受けるために毎日汗だくになって練習しました。ただ当時は灯台がなかなか乗らず、準初段に合格したところで挫折、すっかりけん玉から離れます。
それが今から8年ほど前に再びけん玉を手にすることになります。教育現場で働く私は、マスの中に文字が入らない一人の女の子を何とかしてあげたいと、ビジョントレーニング、また感覚統合を補う教材として、玉穴の動きを目で追いかけるけん玉が適しているのではないかと考え、教育教材として扱い始めました。ここでクラスの中に一気に初段レベルに達した子どもが出てきたことで、負けず嫌いな私のけん玉熱が再燃します。
その頃、同様に小山家にもけん玉が持ち込まれました。私が職場で見本としていただいたけん玉を長男に手渡し、小山家でのけん玉ライフがスタートします。5歳だった長男は、技ができるうれしさをたくさん味わうことができるけん玉、やったらやった分だけ上達できるけん玉に、あっという間に魅了されました。ときには、やりたい技ができないと泣きながらできるまで練習し、園児なのに寝るのが深夜になることもありました。そんなにけん玉に夢中になった長男に私が抜かれるのはあっという間でした。
今では家族みんなでけん玉をしています。小6の長男と小4の次男、そして私はけん玉道五段。三男と妻はけん玉道1級。もちろんGLOKENけん玉検定にも挑戦しています。また長男と父はここ数年kendama word cupへの挑戦を続けています。来年は次男も出たいそうです。家族みんなでけん玉をしていることで、家族での話題はけん玉ばかり。長男とは毎日投稿しているinstagramのけん玉動画をどうするかでもめることもありますが、お出かけお泊まりと言えばけん玉イベント、夏休みの宿題もけん玉に関わることばかり、そして、子どもたちの要望でお年玉もけん玉の現物支給となっています。
けん玉から「がんばった分だけその代価を得ることができる」「できなくても我慢してがんばればなんとかなる」ことを覚えた息子たちや私が教えるクラスの子どもは、他の場面でも一生懸命がんばることができるようになりました。これからもけん玉から学んだことを活かしていってくれるはずです。
また、けん玉を再び始めるきっかけを作ってくれた女の子は、その後もけん玉を続け、日本けん玉協会の全日本少年少女けん玉道選手権大会全国大会に出場し、私を指導者として初めて全国大会に連れて行ってくれました。そして、いつの間にか彼女の文字はすっかりマスに入るようになっていました。けん玉には私たちをよりよくしてくれる何か不思議な力がありそうです。
長男は昨年『藤原一生物語』の読書感想文に「自分がうまくなるだけでなく、人の役に立てるけん玉をしたい」と記しました。小山家のみんなは、もっともっとけん玉が上手になりたいですし、いろいろな地域のダマ-と絡んでコミュニティを広げていきたいです。皆さん、遊んでくださいね。ただ自分たちが楽しむだけのけん玉だけではなく、そのけん玉の楽しさをもっと周囲の方に知ってもらったり、誰かの役に立てるよう、けん玉をしているみんなの元気を地域の皆さんに広げていったりもしたいです。今は、そんなけん玉とのつきあい方をしていきたいなと考えています。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。