斉藤 烈(北海道在住。厚真けん玉クラブ代表)
平成30年9月6日(木)午前3時7分頃。聞いたことがないような音と感じたことがないような衝撃で目を覚まし、「大丈夫、大丈夫」と声をかけながら、必死に妻と娘をかばっていたことを今でも思い出します。北海道胆振東部地震で、北海道が経験したことがない震度7を記録した厚真町。誰もが想像もしていない状況の中、子どもから大人まで、全員を笑顔にするきっかけとなったのがけん玉でした。今回は、「けん玉が紡いだストーリー」を紹介します。
発災初日は、なにをすればいいのかもわからず町の職員として避難所運営の手伝いをしていました。避難所を運営していると、どうしても子どもたちの居場所がなくなっていっていることに気づいたのです。そこで、当時から町民には「けん玉けんちゃん」の愛称で呼ばれていたこともあり、避難所に私物のけん玉を20個持ち込み、みんなとけん玉をすることから始まりました。
携帯電話は圏外となり情報の発信ができない状態だったので、上士幌けん玉キッズクラブの高橋くんに「SNSで厚真町を元気付けるためのけん玉動画を発信してほしい」と頼むと、一気に全国、世界からたくさんの応援メッセージが厚真町に届けられました。
山形県の大空、台湾のYUMUけん玉、そのほか、全国から厚真町に100本を超えるけん玉が届きました。そのけん玉は今でもあつけんの活動に使われています。9月には北海道中のけん玉プレーヤーが厚真に集まり北海道のけん玉シーンを盛り上げるため「Ezo Kendama Collective」が発足、10月にははまけんの黄桜さん、11月にはずーまだんけのKODAMAN、12月にはGLOKENから窪田さん、Rodが厚真町に足を運んでくださり、けん玉を通して厚真町民を笑顔にしてくれました。
あの日から1年が経ちましたが、あのとき繋がった「けん玉の縁」は未だに続いています。いつか皆さんにちゃんとお礼ができるよう、これからもあつけんの活動を続けていこうと思っています。あのとき支援してくださった皆さん、そして今もけん玉でつながっている皆さん、本当にありがとうございます。