原 佑輔(長野県在住。Zuku Kendamas代表)
長野県中部地方で活動するZuku Kendamas(ずくけんだま)代表の原です。私がけん玉を始めた頃の話を紹介させていただきます。
が、そのちょっと前の話から…
身体に不調が生じるようになったのは2013年の秋頃。病院に行っても原因がはっきりしないまま不調が増えていく、そんな日が続くこと半年以上。2014年の春に医師から癌を告知されました。当時26歳。入籍を済ませ、結婚式を1ヶ月後に控えた日のことでした。
その後に入院治療したのですが、その間もどんどん転移が進み地元の病院だけではどうにもならず途中で県外の病院に転院することになりました。転院までの間に1週間の退院期間があり、けん玉と出会ったのはこの時です。
専門学生時代の友人が数人で会いに来てくれ、その中に山梨で活動しているチーム、甲斐KENDAMA.CREW の3人がいました。彼らにお見舞いとして貰ったのが けん玉 です。
そんなこんなで けん玉と共に転院、治療再開しましたが、過酷な入院生活の中でけん玉をすることはありませんでした。
転院前よりも強い抗がん剤治療や手術を繰り返すこと約8ヶ月、ようやく癌もおとなしくなってくれ退院することが出来ました。しかし癌の治療は身体的ダメージはもちろんのこと、精神的ダメージも想像以上に大きく、外に出ることや人と会うことも躊躇するようになっていました。
そんな頃、ふとテレビボードに飾ってあったけん玉を手に取りました。大皿も全く出来なかったのですが、これがとても良い気分転換になったのです。この時が2016年の春、貰ってから約2年ほど経っていました。
けん玉に興味を持った私はインターネットでけん玉を検索。出てきたYoutube動画を見て衝撃を受けました。自分が知っているけん玉ではなかったのです。徐々にけん玉が楽しくなり外に出て公園で練習するようになりました。この頃、公園で初めて遭遇したダマーが JAC KENDAMA の裕司くんだったり、初めてイベントに1人で行きBonzとRolfのパフォーマンスに衝撃を受けたり、Zuku Kendamas を友人と始めたりと刺激的な日々が続きました。
そんな日々の中でけん玉を通じて人と繋がる楽しさを知り、以前の様に外にも自然に出られるようになっていました。
現在は地元を中心にイベントの依頼を頂く機会も増え、さらにけん玉の楽しさを伝えるられるよう奮闘中です。また、仕事としている作業療法士として、リハビリの立場から介護予防の視点での活動もしており、けん玉は欠かせない特別な存在になっています。
けん玉や関わって下さった方々に対する感謝の気持ちをこれからも忘れず、まだまだ活動を続けていきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。